公園に行ったらいい薫り・・ くちなしの花が咲いていました たしか去年・・くちなしの花を写真に撮ろうとしたら 母からライン通話がかかってきたのでスマホの向きを…
今年も蛍が舞い始めた。前の小川沿いの森が伐採されてしまい心配だったが、かろうじて数匹みられた。例年の群れはもう難しくなってしまったかな。 6月15日、昼 玄関にいた。
昭和十六年五月十日 増富ラジウム温泉 津金楼 何時もご覧頂きありがとうございます。 今日は前線が北上し、九州は朝から、四国から近畿は夜から雨が降る予定。 東海から東北はおおむね晴れで、北海道は時々雨
2024年6月17日(月)午前9時30分阿賀野市の瓢湖で撮影。アヤメ祭開催中です。平日の朝でしたが、大勢の見物客がいました。瓢湖のアヤメは、駐車場から近くて良いです。数年ぶりに行きましたが、園内の歩道がカラー舗装し、橋が多くなった気がします。今年はアヤメが平年より多く、綺麗に咲いている印象でした。私もそうですが、皆さんスマホで花を撮影していました。昔なら(?)一眼レフカメラで撮影していましたが、今はスマホです。一人、ミラーレス一眼カメラで撮影している女性がいました。今は男性より女性カメラマンの時代・・のようです。男性より女性が元気です。瓢湖今昔物語115あやめ祭り(令和6・2024)
ポランコ猛打賞2回-藤岡2ラン-上田マルチ-投手陣活躍-勝越し-MxD-2024セパ交流戦⑨
2024年セパ交流戦も最終カード対中日戦になりました。エレベーターのように上がったり下がったり忙しい交流戦でした。マリーンズ打線の調子は上向いていませんが、なんとかドラゴンズ戦で連敗を止めたいものです。上田がサードでスタメン入り。藤岡が復帰。そういう意味では楽しみなカードになりました。
たくあんときゅうり、 ご飯が進みます。 笑…。 料理を紹介なんてものでもないですね。 千切りにしたたくあんときゅうりを混ぜただけのものです。 きゅうりとたくあんをボールに入れて、 ひたひたの水にたくあんの塩分加減によりますけど数秒浸して、 きゅっと絞っただけです。 たくあんの塩分で きゅうりが程よく少ししんなりしてきたら、 (きゅうりのしんなり具合は好みでいいですよ) そして、 絞るだけです。 簡単でしょ。 これ、若い頃に誰かに教わったのか?どこかで見かけたのか覚えてないです。 お味は、たくあん次第です。 市販のもの使っています。 こんな感じで、適当に作ってます。
【1940年(開戦前)ハワイに居た大島郡の人達】11)笹木重吉SasakiShigekichi明治13年11月3日生本籍地大島郡森村現住所ハワイ島ヒロ市キラウエア街アアラレーン家族大正2年12月2日結婚夫人モヨ(明治26年6月12日生)長男久夫、次男篤、長女千代子、二女タケ子、三女サダ子、四女キミエ、五女ユリ子12)戒崎七右衛門kaizakiShichiuemon明治33年1月14日(日系市民)親の本籍地大島郡家室西方村字沖屋室現住所ホノルル市ウヲード街221職業魚具商家庭夫人ハクヨ経歴氏はハワイ島ヒロ市に於いて出生の日系市民である。妻はヒロ市椰子島に於いて永年理髪店を経営、先年経済的に成功を果たし郷里沖家室にて余生を送っている。13)中村兼吉NakamuraKenkichi明治14年12月3日生本籍地大...【1940年(開戦前)ハワイに居た大島郡の人達】2
史跡めぐりの記事の記事です。遺構がないので2城掲載です。今回は、愛知県小牧市にある小松寺砦・外久保砦です。小牧・長久手の戦いの際の城砦シリーズ3弾です。 小松…
・・季節の中で・松山千春今日の主役が真ん中だぁ~と言っても、ヨタハチについて熱く語る訳ではないんですけれども。ところで上の写真の3台ですが、どれが何だか知って…
この本のおわり、作者の「あとがき」がいい。ついでに書いておこう。瀬戸内海のどのあたりでもいいから、ほんのすこし船でいくだけで、いまの日本がどれだけひどい状態にあるかを、全身の痛みのようなかたちで感じとることができる。おなじテーマで、ぼくはまたひとつ、長い小説を書こうとしている。コオやミーヨと、どのくらいおもむきがちがってくるか、楽しみだ。著者「彼のオートバイ、彼女の島」片岡義男角川書店昭和52年発行・・・・片岡義男氏が瀬戸内海の島々の状況を憂い嘆いたのはもう47年も前のことだ。今の瀬戸内海では、島を一周しても人の声が聞こえない島が多い。洗濯ものが庭先に干してあるから住んでいる。テレビの音が聴こえるので住んでいる。猫がいるから人も住んでいる。それが現状だ。島から島へお嫁に行く「瀬戸の花嫁」はおそらく、広い瀬...彼のオートバイ、彼女の島(岡山県白石島)
妙玄寺(埼玉県毛呂山町)の東方にかつて“毛呂城”があったという。“山根城”とも言い、妙玄寺近くの踏切の傍らに、その名が刻まれた石碑が隠れるように建っている。長栄寺側の城跡とは異なり、妙玄寺周辺は住宅街である。ゆえに、城の遺構とおぼしきものは見当たらない。何の情報もなければ、そこが城跡とは気付かないのではないだろうか。昭和40年代に妙玄寺遠景を写した写真を見ると、畑の中にお寺がポツンと建っている光景に驚く。住宅がまるでない。のどかな景色が広がっている。かつては水堀が残っていたという。以後、開発の波が押し寄せ、住宅街へと変貌を遂げたのだろう。平地の城跡は、開発の波から免れるのが難しい。史跡公園等で整備されているのは稀だ。大概は時代の流れと共にその姿を消している。妙玄寺は毛呂氏夫人の開基と伝わる。境内には供養塔...毛呂山町の町中に城跡がある?―山根城―
個人情報保護の時代なので郵便物の封筒や名前などが入っている書類などはせっせとシュレッダーをかけて捨てます ある日ちょっと多めかなと思いつつ数枚突っ込んだら う…
Contents1 今日の更新より2 今日のとど鉄 今日の更新より 【参考】大阪万博開幕(S45.3.18中日ニュース) 【参考】よど号、赤軍派に乗っ取られる(S45.4.1中日ニュース) 今日のとど鉄 田野畑や普代の社 […]
私、 足元から見直しました。 … 何? 大したことやってる訳ではないんです。 ここ休日には、お家片付けているだけです。 それも、 かなりスローペースです。 そしたら、 あら! 足元、かなり暑苦しかったのに気がつきました。 絨毯まだ敷いていました。 それで、 い草のカーペットに交換です。 足元から見直しました。 さっき、お昼ご飯頂いたので、 片付けは一旦中断して、 い草の上でちょっと休憩です。 お昼寝タイムです…笑。
真っ赤なユリが咲いていたころ、近所の白い花が満開だった。この花が咲いていれば、あの花も咲いているかも知れない。そう思って、すこし寄り道をした。天然寺の脇を通り新河岸に出る。予想した通り、あのキョウチクトウの白い花が咲いていた。土手の斜面に生え、下の小路を覆うように茂っている。橋を渡り、土手道の坂に出る。樹形は少し乱れているが、多くの花が咲いている。坂を下り振り返ると、木の全体がよく見える。土手から橋の下へ通じる小路には、すでに花が散っていた。そこから見上げると、花を間近で見ることができる。少し移動して、さらに上の方を見上げる。快晴ではなく少し雲があったが、背景としては悪くない。花の先には、桜の季節に来た精進場橋が見える。去年この花を見たのは7月の中旬だった。今年はまだ梅雨入りしていないが、やはりその頃も咲...周りじゅうどこから見ても白い花(新河岸川・16号傍)
ー381系,ラストラン,岡山駅,伯備線,JR西日本ー朝、5時半のRedWing-227系1番列車に乗るべく、一路クロスバイクで西広島駅を目指します。広島駅で新…
昭和11年発行【小松町誌】28【名所旧跡】②子すかし観音小松字石丸にあり、かなり古い歴史があるようであるが、その創建年月日は詳かではない。夜泣きをする子供を連れて参拝すると、不思議に夜泣きが全快するというので篤信が多い。現今では付近のみではなく他地方から参拝する者もある。③イボ観音小松字開作雲蓋寺境内にある地蔵尊はイボに功顕ありと言われており之を試みる者が多い。④瀬戸明神社五重塔瀬戸にある大多満根神社境内の五重塔は相当古いものである。巷説によると、人皇三十二代の当時有名なる般若姫がこの瀬戸に於いて人身供養となられし時、追善の為に建てられたものとされている。【源三注】上記は所謂「般若姫伝説」によるものであるが、どうも「史実」が伝説化した可能性も高い、いづれ別スレッドで説明します。⑤念仏橋小松字水車と堀川の境...昭和11年発行【小松町誌】28
弥次さん・喜多さんの話はおもしろい。子どもから大人まで楽しめる。江戸時代に、発売とともに売り切れ・大人気だっというのもうなずける。江戸時代でも現代でも楽しめる話。この本の最大の参考書は、歌川広重の「東海道五十三次」。広重の絵画を見ながら、弥次喜多を読むと、楽しさが倍増し、なんとなくあの時代がわかったような気になる。小田原では、宿場の女中に色気をだし、風呂でやらかし、読者を安心(?)させる。・・・旅の場所・神奈川県小田原市旅の日・2015年7月8日書名・東海道中膝栗毛原作者・十返舎一九現代訳・「東海道中膝栗毛」世界文化社1976年発行・・・小田原宿引「あなたがたは、お泊りでございますか」弥次「貴様のところは奇麗か」宿引「さようでございます。この間建て直しました新宅でございます」弥次「女はいくたりある」宿引「...「東海道中膝栗毛」小田原(神奈川県小田原)
鞆の浦のシンボルともいえる大きな常夜燈はとうろどう(燈籠塔)とも呼ばれ安政6年己未7月(1859)に建造されたものです南面に「金毘羅大権現」・北側に「当所祇園…
2024年5月26日(日)見附市にある「みつけイングリッシュガーデン」を見に行き、帰りに寄りました。午後1時ころに着いたのですが、日曜日とイングリッシュガーデンの客が多くいて(?)大混雑でした。人気だなぁ・・と感じました。この道の駅の名前は知っていたのですが、場所がわかりませんでした。※場所は一番下の地図をご覧ください。見附市今町1丁目3358番地←店内の情報←キッチン「もみの樹」のメニュー食べたのは、(下)の「もみの樹定食1,280円」サラダバーとスープバーが付きました。この日はすごく混んでいて、順番がきて食券を買ったのは午後1時22分。スープ・味噌汁・サラダはお代わりしました。美味でした。(下)産直マルシェ「健幸めっけ」地元農家の新鮮な野菜や加工品などを販売。(下)今町で作られている地元伝統民芸品「今...見附市「道の駅パティオにいがた」2024
「新選組始末記」は、作者・子母澤寛の取材の熱意と汗が伝わってくる作品だ。新選組と、その関係者への取材は、人間の寿命があり時間が限られる。大正末から昭和初期、日夜を惜しんでぎりぎり間に合ったと思える。この作品のおかげでその後、多くの新選組の作品が生まれた。・・・旅の場所・京都市下京区(島原大門・角屋)旅の日・2020年1月30日書名・「新選組始末記」著者・子母澤寛発行・中公文庫昭和52年発行・・・島原の角屋守護職会津侯、直々のお預りというので、京の町奉行与力同心も、新選組のする事については、良きにつけ、悪しきにつけ、見て見ぬふりをしているので、その勢力が強くなるに従って、芹沢鴨は、性来の乱暴狼藉をはじめて来る。世上これを「壬生浪士」といったが、蔭口には誰も「浪士」とは言わずただ「壬生浪壬生浪」といった。芹沢...「新選組始末記」島原の角屋(京都市島原)
やがて来る、いつか来る、きっと来る。そして本日 6月15日、ついにその日が訪れました。まだ完全引退ではないと言われるものの、定期運用からの撤退は、任務完了その…
Contents1 今日の更新より2 今日のとど鉄 今日の更新より 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 都市は電気設備から街の美化!(S26.7.31夕刊いわて) 今日のとど鉄 戦前モノとか、昭和 […]
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